院長挨拶

長津田厚生総合病院 院長 戸田憲孝

社団法人日本厚生団は、昭和21年3月、終戦後の荒廃の跡に、戦災のために打ちひしがれた市民及び外地からの引揚者の厚生の一助となることを目的に活動を開始された組織体で、その翌年には「戦災者、海外引揚者、失業者、その他の貧窮者の生活を擁護し、その福利を増進する目的」から、昭和22年に神奈川県知事の認可を得た公益法人で、横浜市中区日ノ出町に小さな診療所を開設いたしました。

初代戸田修院長は、旧満州鉄道に防疫部長として勤務し、旧中国東北部のペスト、コレラの撲滅に尽力しましたが終戦により帰国し、昭和23年には戦災により孤児となった浮浪児を救済する為の施設「ボーイズ・ホームズ」をこの診療所の隣接した場所に開設しました。

その頃の日ノ出町周辺は、戦火による焼け野原のままであり、ボーイズ・ホームズに医師がいることを知り、遠くからでも病人が訪ねてくるようになっていました。
この診療所は、昭和24年には25床の病院に転換しましたが、この「日ノ出町厚生病院」が今日の当院の前身です。

その後、日本の経済は日々成長を重ねてまいりましたが、その頃、横浜北部地域では都市開発が進められていたものの、無医村に近い状態で、新しい医療施設が急務な状態でもあり、昭和30年6月に「長津田厚生病院」を開設しました。

ベッド数70床でスタートしましたが、東急田園都市線や国道246号線の開通、更には東名高速道路等の交通網も整備されたことにより、横浜北部地域の人口も急激に増加しました。

その間、病院も地域の変遷とともに呼応し、規模や内容の充実を図り、昭和43年には「長津田厚生総合病院」として新たにスタートし、拠点を当地に移しました。その後、本館、検査センターも建設され、更に昭和54年には新館を増築しました。

また、平成8年には健診センター、人工透析センターが増設され、現在の体制へと移行しました。

二代目の戸田裕也院長(S38年東京大学卒)は、大学卒業後、昭和38年7月~昭和41年12月まで米国ミネソタ州メーヨ・クリニックへ産科婦人科学専門医研修として渡米され、昭和44年3月に東京大学産科婦人科学教室に帰局。その後、昭和54年より平成20年3月まで当院の院長に就任され、地域の産科婦人科医療に貢献されました。

平成20年4月からは、戸田憲孝(H6年横浜市立大学卒)が3代目院長として就任しております。

患者様の中には、「院長のお爺さんに診察してもらい、2代目、3代目と家族でお世話になっています。」とか、「私は2代目の院長のお世話でこの病院で生まれた。」とか、「あの頃の小さなお子さんが、今は院長になられているのを今更ながら驚きだ。」のお話をお聞きすることがあります。

この様に地域に溶け込んだ急性期の病院です。また、二次救急受入れ病院として、横浜市病院協会の救急二次輪番にも参加しております。

医療理念と基本方針を掲げ、常に地域の患者様のニーズに応えられるように、時代に応じた医療環境の整備に努め、地域との連携を深めながら健全な病院運営を目指しております。

院内におきましても、職員一人一人が患者様の求める思いにしっかり向き合い、患者様に笑顔で対応し「あなたのお役に立ちたいと思っている。」ことを感じていただける医療人となるように「知識」と「技術」に加え、「心」の研鑽に努めてまいりたいと思っています。

長津田厚生総合病院 院長 戸田 憲孝

長津田厚生総合病院

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